2025.12.15

【前編】い草と生きるということ - 八代の田んぼで育つ時間と対話|イグサ農家たかちゃん、みほさん夫婦

  • インタビュー

イグサ農家になるという選択

熊本県・八代。全国でも有数のイグサ産地として知られるこの土地で、たかさん・みほさん夫妻はい草農家として日々を送っている。

イグサ農家としての歴は、およそ10年。長いようで、決して長くはない。

「僕は実家じゃなくて、妻の家に入る形でした」

たかさんはそう振り返る。妻の家は、代々イグサ農家。すでに姉妹の多くは家を離れ、
「この家をどうするのか」という現実が、静かに迫っていた。

「妻は、“家を継いであげたい”っていう思いがすごく強くて」

農業をやりたかったわけでも、イグサに詳しかったわけでもない。

それでも、家族の時間と歴史を終わらせないための選択として、イグサ農家になることを決めた。

やると決めたからには、中途半端にはできない

「やるなら、ちゃんとやろう」

それが、2人の共通認識だった。

農業は、甘くない。ましてや、衰退産業と言われるい草。

「正直、不安はめちゃくちゃありました」

それでも、一度始めた以上、逃げ道は作らなかった。

家族でつくる、イグサの現場

現在のイグサづくりは、家族総出だ。

▪️ たかさん:栽培全体の判断、田んぼ管理、品質の最終責任

▪️ みほさん:植え付け後の確認、織り前後の細かな工程

▪️ 両親・祖父:織り・検品・仕上げ

「外仕事のきついところは、今はほとんど僕ら2人ですね」

70代の親世代ができること、若い世代が担うべきこと。その線引きを、日々の作業の中で自然と見つけてきた。

発信しないと、なかったことになる

近年、2人はSNSなどで積極的に発信を続けている。

「撮ってもらって、喋る。本当に、それだけなんですけどね」

作業風景、田んぼの様子、うまくいったことも、失敗も。

「発信しないと、イグサの現状って“なかったこと”になるんですよね」

豪雨災害が突きつけた、産地の現実

大きな転機となったのが、豪雨災害だった。

「うちは、正直そこまで大きな被害ではなかったんです」

機械が全滅したわけでもない。田んぼが全部流されたわけでもない。けれど、時間が経つにつれて、状況は見えてきた。

「再開できない農家さんがいる」
「今年で辞める、という話も聞こえてきた」

被害は、数字ではなく、静かな“離脱”として現れていた

クラウドファンディングは、最初から考えていなかった

最初にやったのは、ただの発信だった。

「この現状を、知ってほしい」

すると、フォロワーや視聴者から声が届く。

「何かできないんですか?」
「クラウドファンディング、立ち上げませんか?」

「僕らのためだけだったら、多分やってなかったと思います」

「産地のために使う」と、最初から決めていた

クラウドファンディングをやると決めた時、自分たちのために使わないことは、最初から決めていた。

「この産地の農家さんのために使えるなら」

個別に配ることはしなかった。八代市に寄付する、という形を選んだ。

「自分たちが線を引くのは違うと思ったんです」

誰がどれだけ大変か。どこに配るべきか。それを判断すること自体が、新しい摩擦を生む可能性があった。

大阪万博で浴びた、知らなかったという声

同じ時期、大阪万博でのプレゼンテーションがあった。豪雨の直後。葛藤は大きかった。

「このタイミングで、外に出ていいのか」

それでも、現状を伝えるために立った。結果は、想像以上だった。

「ほとんどの人が、“イグサの現状を知らなかった”って言ったんです」

「なくなってほしくない」「日本の文化でしょう?」

1日で、何百人もの人と話した。

「伝えることで、初めて味方が現れるんだなって思いました」

(後編へつづく)

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