2025.12.15

【後編】い草と生きるということ - 八代の田んぼで育つ時間と対話|イグサ農家たかちゃん、みほさん夫婦

  • インタビュー

一番好きな作業は、いちばん地味な時間

「一番好きな作業ですか?」

そう聞くと、みほさんは少し考えてから、こう答える。

「植え付けが終わったあと、1株ずつ全部見て回る作業ですね」

機械で植えたあと、必ず田んぼに入る。倒れている苗。枯れている苗。微妙なズレ。

「寒いし、腰も痛いし、正直しんどいです」

それでも、やらないという選択はない。

「これをやらないと、正月を迎えられない気がするんです」

田んぼの中で見る、収穫前の景色

収穫前の田んぼは、イグサが大人の背丈ほどまで伸びる。

「私が隠れちゃうくらいになります」

その中に入って見上げる空。

「青と緑しかなくて、時間が止まったみたいになります」

一番“生きている瞬間”をいただく

イグサは、最も成長した瞬間に刈られる。

「一番元気なときに刈らせてもらう」

それは、効率ではなく、感覚の判断だ。

「エネルギーをいただく、という感覚に近いです」

イグサは、教えてくれない。でも、全部残す

「教えてくれる、というより、一緒に暮らしている感じです」

水をやりすぎると、弱る。足りないと、痩せる。その年の天候で、正解は変わる。

「答えは、最後にしか出ない」

収穫し、乾燥し、織ったとき。その表情を見て、ようやく分かる。

「あの時、ああすればよかったな、って」

イグサは、1年では終わらない

イグサは、種から育てない。前年の苗を株分けし、来年、再来年につなげていく。

「2年かけて、やっと畳表になります」

この田んぼのイグサは、この家の時間そのものだ。

後継者不足の、本当の理由

「後継者不足の理由は、気持ちの問題じゃないと思っています」

たかさんは、はっきり言う。

「価格が、見合っていない」

1年中手をかけ、農業と職人仕事を同時に行い、収入の多くは経費に消える。

「この状態で、子どもに“継げ”とは言えない」

それでも、知ってほしい

「1300年以上続いてきた文化なのに、本物のイグサのことを、ほとんどの人が知らない」

だから、発信する。だから、語る。

「知られないまま消えるのが、一番つらいです」

畳じゃなくてもいい。暮らしの中へ

畳を使わない暮らしが当たり前になった今でも、いきなり

「畳に戻ってほしい」

とは思っていません。

まずは、畳じゃなくてもいい。生活雑貨や香り、インテリアなど、どこか日常の中に“イグサ”が入り込むきっかけがあればいい。ふと触れたときに、

「あ、なんかいいな」

と感じてもらえたら、それで十分で。

そうして時間をかけて、いつかまた

「畳っていいよね」

と思い出してもらえたら嬉しい。

イグサは、無理に戻すものじゃなくて、暮らしの中を静かに巡りながら、気づけばそばにある存在でありたいと思っています。

い草と生きるということ

い草は、育てるものではなく、共に時間を過ごす存在なのかもしれない。田んぼに入り、葉の色を見て、水の具合を確かめる。うまくいかない日もあるが、い草は何も語らず、ただ季節とともに立ち続ける。

田んぼで。家族で。季節と一緒に。その時間の積み重ねが、やがて一枚の畳表になる。畳は完成した瞬間が終わりではない。誰かの暮らしに敷かれ、座られ、使われ、静かな時間を受け止めていく。役目を終えた畳は、また土へと還り、次のいのちにつながっていく。

このインタビューを通して感じたのは、い草の価値は、目に見える美しさだけではないということ。

人が向き合い、迷い、選び続けてきた、その「時間」そのものが、一枚の畳に織り込まれている。い草と生きるということは、時間と丁寧に向き合うこと。その先にある、静かな豊かさなのだと感じました。

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